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  • 鯨構文の誤訳の歴史(否定で訳す誤訳がなぜ世に広まり、Google検索A.I.も誤訳サイトをトップ表示し続けているのか❌)

    2021.10.18

    (10/18/2021記載)

     A whale is no more a fish than a horse is ( a fish).

    no morethan…の部分を鯨構文といいます。

    鯨を使った上の例文が有名なためです。

    一般的な訳は「 クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」とされています。

    しかし、池田英語塾では

    「クジラが魚なんて、馬が魚というのと同じことだ」

    と教えています。 (採点官も間違えているから、訳すときは嫌だろうけど試験で点数を取るためには「だ」の部分を「でない」と否定で訳してね、と生徒さんたちには申し渡しています。「鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じことだ」「鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」……やっぱ非常に不自然な日本語にしか感じません。東京大学、慶應大学では自然な日本語らしいのですが、私の時代の上智大学外国語学部イスパニア語学科では「外国語は、日本語らしい日本語で訳さなくてはならない」と散々言われてきました。それで外国語を学習してきた人間としては許せるレベルではないのです。)

     

    なぜこうなるのかは、Q&Aのページを作成し、そこに詳しく解説を書いておきました。→「鯨構文Q&A

    またQuoraというサイトにも投稿しておきました。→Quora池田浩巳

    どちらもぜひお読みください。(Quoraは皆さんが本名で書いているわけではないサイトで本名はどうか、ということで間を取りました[=本名に近いハンドルネーム]。)

     

    いわゆる鯨構文は日本中で間違えて教えられています。

    その根本がどこにあったのか、それを解明しているページです。

    早く日本の鯨構文が正しいものになりますように。(鯨構文は「最難関」ではありません。非常に簡単なのです。それがわからず「最難関」とか言っているのは頭悪いですよ。そう言う私も2008年まで頭悪かったです。2008年にやっと理解できたので。)

    ※鯨構文の正しい解釈を軽くまとめておくと:

    A whale is no more a fish /than a horse is ( a fish).

    鯨は魚だ」「より多い差がゼロ(no more)」「馬が魚である」「より(than)」

    →「鯨が魚だなんて馬が魚であるより優った差がゼロ」

    →「鯨が魚だなんて馬が魚だというのと同じだ」

    noはmoreのみにかかって、「差がゼロ」を表す。

    他のA whale is a fishや、あまつさえa horse is a fishになどにかかっていない。

    だから「鯨が魚でないというのは、馬が魚でないのと同じだ」というのは誤り。

    大誤訳。

    それにthanの後ろを見ると英語では何と何を比べているのかが分かる。

    肯定文と肯定文を比べているのである。

    thanの後ろが肯定文なのには意味がある。

    勝手に否定文にして、何やってるの、日本人?

    ________________________________

    Google Books Ngram Viewerで1500年〜2019年の間で調べたところ(no more a fish thanで検索しました。最大5文字という制約があります)、鯨構文っぽい文章の初出1819年

     (なお、同義のnot a fish any more でも調べましたが1891年が初出。no moreの方が先のようなので、こちらは割愛します。)

     

    ↑Oliver OldschoolのThe Port Folio 130ページの

    A whale is no more a fish than a man.

    これがGoogleによる、書籍に残る世界初の鯨構文(的な文章)。

     

    日本での初出1899年斉藤秀三郎先生のPractical English Grammar: Adverbs, prepositions,conjunctionsの315ページ。(↓)

    (Practical English Grammarの奥付け。記載の通り、初版は明治32年[1899年]。この本を慶應大学のある研究室は1898-1899のものとされています。私は1898年ではなく、1899年だと思うのですが…。塾長が知らないソースがあるのかもしれません)

     ここにA whale is no more a fish than a horse is. とあります。

    これが私が調べた限りでの日本での書籍に登場した最初の鯨構文。

     

    そして括弧内の記載が、現代まで続くの誤訳の全ての発端だと思います。

    >(= A whale is not a fish, just as a horse is not a fish.)

    「鯨は魚ではない、それは馬が魚ではないのと全く同じことだ」(塾長訳出)

     

    おそらくネイティブにもチェックしたのだと思います。

    「A whale is no more a fish than a horse is.とはA whale is not a fish, just as a horse is not a fish.ということか」と(もしかしたら、この文章はどう言う意味かと尋ねたのかもしれません)。
    そして聞かれたネイティブはその通りだ、と答えたのでしょう。

     

    「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」は「君にはお金を貸すことはない。それはお金をドブに捨てないのと同じことだ」ということかと聞かれた日本人は「その通りだ」と答えると思いますが、どうでしょうか。

     

    (もしくは「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」とはどういう意味かと聞かれた日本人が、「君にはお金を絶対に貸さないよ。お金をドブに捨てないようにね、って意味だよ」と説明しても不自然さはありませんし、そう説明する可能性が高いと思います。肯定形で説明するより楽かもしれません。まぁ「君にお金を貸すという行為は、ドブに捨てるという行為と同じで、そういうことは一切しないということだよ」とは説明する方もいらっしゃるとは思うけど、それでも否定語が入ってしまいます。この、説明の際の否定語が現在まで続く世紀の誤訳の根源……[いまだに多くの専門家がおかしな訳文ありきで疑うことをせず、誤訳の説明に躍起になっています。「世紀の誤訳」は適切な言葉です。私には……狂気に見えます。そしてこれが私が日本の英語力が向上しない大きな一端だと思っています。最初に訳を出された斎藤先生に対してではなく[当時にここまでの本を出された努力…とてつもないご苦労があったと思います]、その後の英語学者に対して、非常な不信感を持っています。この義憤、間違っていますか?]。鯨構文の解説をするとどうしても「ない」とか「否定」という言葉がないと説明できないのです。ネイティブに聞いた日本の研究者が、結果として「ない」と訳すようになったのでしょう。「ない」「否定」という言葉なしで説明ができる方がいたら是非ともご教授願いたい。私には無理でした。ネイティブの説明で「ない」と言っていたから、「ない」を入れていいのだ、というのが日本の研究者の主張でしょうが、それって自分の頭で考えてない。やはり日本の英語業界はおかしいと思います。ロジカルに考えれば「ない」を入れることは絶対に間違いです。)

    これが全ての始まりだと思います。(あくまで推測の域ですが、最善の推測はしたつもりです)

     

     

    この後、1915年初版の「熟語本位英和中辞典」で上記の本の著者である斎藤秀三郎先生は、

    A whale is no more a fish than a horse is.を「鯨は牛馬も同然魚ではない」(旧仮名遣いの「な」をGoogleは「あ」と読み込んだようです。私が所有している大正15年3月20日出版の初版再改訂版も旧仮名遣い、昭和30年出版の新増補版13刷927ページでは新仮名遣いで「ない」となっています。)

    thanの後ろを肯定形で訳しています。

     

    しかし時すでに遅し。(1899年の影響が現代まで残ってしまいました)

    それにまだthanの前否定文で訳しています

    やはり不完全な訳だと思います。(当時、ここまでなさったことに敬意を払うとともに、誤訳は誤訳として修正させていただきたく思います。ただHe can no more swim than I can fly.の訳はお見事。「彼が泳いだなら僕は飛んで見せる」。thanの前後をどちらも肯定形で訳されています。同じように鯨構文も「鯨が魚であるなら、馬も魚だと言える」などとやっていただければ、高3でわけがわからず苦しみ[=moreとかthanがあるのになぜ「同じ」になるの?thanの後ろは肯定文なのになぜ「‥‥ない」で訳すの??]、no more〜thanは「〜でないのは…でないのと同じだ」と丸暗記をせざるを得なかった新潟の池田少年のような人がずいぶん減ったでしょうに。ここは少々恨言を言いたい。thanの後ろを一生懸命「否定」で訳している方々は、東進ハイスクールの人気講師であろうと大人気ユーチューバーであろうと国公立大外国語学部英語学科の教授であろうと、こと鯨構文に関しては否定文ありきで考えている態度は「完全に間違えている」であると断言しておきます。真実の下僕でなくてはならないのでは。日本語下手すぎです。日本語らしい日本語で考えなさい。間違えている主張はとっとと引っ込めなさい。そうでないと、なんとか真理教みたいな残党が必ず残る。意地ではなく真実のみに従いなさい。間違えたらすぐに訂正!私はdisproveされたらすぐに謝罪し訂正する覚悟はできています。否定で訳している方々はその覚悟はおありではなく、面子を維持することに意識があるように思えます)

     

    この文章は、A whale is a fishと、a horse is a fishの二つを較べて、前者が、後者より=than)、moreより多い、より勝っている)である差がゼロ(=no)だという文章です。

    これを合わせて、「鯨が魚だというのは、馬が魚だというのと、同じことだ」となるわけです。(既に訳したnoをなぜもう一度登場させて前者にかけて否定するのか、全く意味不明です。noとmoreでマイナスとプラスで掛けてマイナスだから否定で訳す?そんなことしなくても立派に否定の意味になっているわい。だというのに、否定語を付け足すなんて余計なことをするから意味が重複しておかしなことになるのだよ。)

     

    thanの後ろはisという直説法。

    「事実だ」という意識の時に使う文法規則です。

    「鯨が魚だ」なんていうのは「馬が魚だ、と本気で事実だと思っている(=直説法)」という愚かな行為と同じだ、と言っているわけです。

     

    なのにthanの後ろは肯定形ですが否定です、否定で訳しましょう、なんてやったら全く意味がないわけです。

    なぜnoを2回訳に使い、thanの後ろにわざわざ書いてないnotを付け足すのか。

    (俗な例で恐縮ですが、2020年のTBSのドラマ「日本沈没」で関東沈没説を真実と解りつつ最初は認められなかった世界的地球物理学の権威と同じではないでしょうか。)

     

    否定で訳している方々。

    「君らと話すのは、言葉が分からない人間と話すのと同じことです。」

    これも鯨構文です。

     

    この文章でさえ、「君らと話さないのは、言葉が分からない人間と話さないのと同じです」としたら意味が壊れるますよね?

    なのに否定で訳すのは意訳だなどと言う。

    意味を壊していると思うのは私だけなのでしょうね、きっと。

    一刻も早く日本人の英語がまともなものになりますように。

    英語を学ぶなら池田英語塾一択だと思っています。

    わざわざ間違っているところに行く必要はないでしょう、というより行ってはなりません。

    大手予備校ほど間違えているのはなぜでしょうか?

    _____________

    2023年5月14日夜に以下のようなTwitter投稿を発見。

    池田英語塾にお褒めの言葉を頂いていました。

    ラテン語さん、HMさん、ありがとうございます。

    ラテン語をずっと勉強したかったのでこの機会にしようか(本当。すでに本は買ってあるが大学生の頃に買ったので…買い直そうかな。)。

     

     

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