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  • 鯨構文の誤解の歴史(なぜ肯定文を否定で訳す誤訳が世に広まったのか)

    2021.10.18

    (10/18/2021記載)

    (歴史の前に軽く鯨構文の説明)

    いわゆる鯨構文 (A whale is no more a fish than a horse is.)がなぜ「鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」という誤訳をされてしまい、今なお修正がなされていないかの考察をしてみました。

    (正しい訳は「鯨が魚というのは、馬が魚というのと同じだ」です。”A whale is a fish”「鯨が魚だ」なんていうのは”a horse is (a fish)”「馬が魚だ」より(=than)「優っている(=more)差がない(=no )」→「同じ」と言っているのです。「お前、鯨が魚だと言っているけど、それって馬が魚だということと同じだぜ」が鯨構文です。「お前に金を貸すなんて、ドブに捨てるのと同じだぜ」と言うのと同じです。「お前に金を貸さないなんて、お金をドブに捨てないのと同じだぜ」と言わないように、鯨構文を否定で訳すなんておかしい。単純なことです。私は肯定で訳すことが正しいことに命を賭けます否定で訳す方々何を賭けてくださいますか?釣り合ったものでお願いしますね。池田、お前の命なんて大したことがない、という方がいらっしゃったらそのお言葉、そっくりそのままお返しします。)

    ※英語の先生方のために:比較されるものは同種というのは規範文法では常識ですよね。英語では「中国の人口は日本より多い」ではダメで「中国の人口は日本の人口より多い」のように「人口」と「人口」を比べます。

    鯨構文も同様です。thanの後ろは肯定文です。このことが「肯定文」と「肯定文」を比べている明白な証拠です。ですからthanの後ろに否定語を入れるなんてのは論外です。「鯨が魚だ」と「馬が魚だ」を比較して、more「優っている」no「差がゼロ」なのですから、当然の帰結として「鯨が魚だというのは、馬が魚だというのと同じだ」となります。

    noがマイナスでmoreがプラスだから否定語が出てくるというのは苦しい説明です。

    英文のnoは「差がゼロ」と訳してお役御免です。なぜもう一回訳すのですか?

    肯定文と肯定文を比較してそれがマイナスの意味で差がない、マイナスのニュアンスを表すために「鯨が魚ではないのは馬が魚ではないのと同じだ」というのが世の中の英語関係者の考え方です。

    しかし「鯨が魚だなんていうのは、馬が魚だというのと同じことだ」で十分に否定のニュアンスを表しています。(この文章を聞いたら誰でも否定語を使っていないのに「鯨は魚じゃない」と言いたいんだな、と気づきます。この否定語を使っていないのに否定のニュアンスを感じさせるのがno moreの目的です。noがマイナスでmoreがプラス、掛け合わせてマイナス。このマイナスの感じが「鯨が魚だなんていうのは、馬が魚だというのと同じことだ」を聞いた時に感じるマイナスの感覚なのです。すでにマイナスなニュアンスなのにわざわざ「ない」を入れるから生徒さんたちが混乱しているのです。早く気づいて正しく教えて生徒さんの混乱を解きましょう。肯定で訳すのが正しいことに「なるほど!」と思ったら、ぜひそれで教えてあげてください。日本中が間違えていても正しいことを教える。このことこそ生徒さんの手本になります。私の説明を見ると、腹を立てる、無礼だと言って怒る方がいらっしゃるはずです。あなたの何百倍も私が怒っています。あなたは、間違っている人間を擁護している。そして正しいことを説明している人間を無礼だと言う。どちらが無礼なのか、よ〜く考えてみなさい。)

    相手が発言している内容(鯨は魚だ)が、絶対におかしい内容(馬が魚だ)よりも(=than)優った差がない(=no more)というのが鯨構文です。

    否定語を使わないからこそ否定のニュアンスを強くなります。

    あなた方のように否定語を入れることは全てのニュアンスを壊すのです。

     

    私は外国語学部の人間です。

    他の学科の学生さんとは違い、毎日毎日毎日毎日外国語を日本語に、日本語を外国語に、という作業をしていました。

    その中で散々「日本語らしい日本語!!」(”¡ Japonés auténtico!”=Authentic Japanese!)と言われ続けました。

    綺麗な外国語を綺麗な日本語で、適切な日本語で、ということです。

    外国語には必ずそれに対応する日本語がある。

    それで訳せ、ということです。

    鯨構文を否定で訳すのは「日本語らしい日本語」ではありません。

    鯨構文でA whale is no more a fish than a horse is.に対応する日本語は「鯨が魚だというのは、馬が魚だというのと同じだ」です。

    鯨構文の趣旨は、肯定文と肯定文を比較して同等だ、ということです。

    肯定文を勝手に否定文に変えていいわけがありません。

     

    YouTuberで鯨構文に関する動画で一番アクセスを集めている森田という方の動画をネタに私は私のYouTube動画でこき下ろしていますが、彼だけが悪いのではありません。否定で訳している限り皆同罪です。(このかたが直してくれれば一番影響力があるので直してもらいたいのですが……私はプライドより真実であること、生徒さんたちのための理解を優先させますが。「スーザンはバスを持ち上げられる」と書いてあると私は思いますよ。慶應出ても、東大の大学院出ても、アメリカで教育を受けようと真実は曲げられません。天動説を支持する信者のようです。否定文で訳す方々、鯨構文に関しては池田英語塾は絶対に譲りませんのでご覚悟を。)

    「絶対は僕だ。」

    赤司征十郎の言葉は私のためにあります。(赤司は火神に負けましたが私は負けません。ですから赤司以上です。少なくとも鯨構文では。)

     

    すみません、脱線しました。

    本題に戻り、以下に鯨構文の歴史を記載します。

    面白いですよ。

    肯定で訳すことが正しいことの証明の一つにもなっています。

    「赤司征十郎」以上の「絶対」を是非お楽しみください。(「黒子のバスケ」を知らない方には何のこっちゃでしょうが)

    ________________________________

    Google Books Ngram Viewerで1500年〜2019年の間で調べたところ(no more a fish thanで検索しました。最大5文字という制約があります)、鯨構文っぽい文章の初出は1819年。

    20211018-144223

     (なお、同義のnot a fish any more でも調べましたが1891年が初出。no moreの方が先のようなので、こちらは割愛します。)

     

    20211018-144513

    ↑Oliver OldschoolのThe Port Folio 130ページの

    A whale is no more a fish than a man.

    これがGoogleによる、書籍に残る世界初の鯨構文(的な文章)。

     

    日本での初出は1899年斉藤秀三郎先生のPractical English Grammar: Adverbs, prepositions,conjunctionsの315ページ。(↓)

    20211018-144651

    20211018-144741

     ここにA whale is no more a fish than a horse is. とあります。

    これが私が調べた限りでの日本での書籍に登場した最初の鯨構文。

     

    そして括弧内の記載が、現代まで続くの誤訳の全ての発端だと思います。

    >(= A whale is not a fish, just as a horse is not a fish.)

    「鯨は魚ではない、それは馬が魚ではないのと全く同じことだ」(塾長訳出)

     

    おそらくネイティブにもチェックしたのだと思います。

    「A whale is no more a fish than a horse is.とはA whale is not a fish, just as a horse is not a fish.ということか」と(もしかしたら、この文章はどう言う意味かと尋ねたのかもしれません)。
    そして聞かれたネイティブはその通りだ、と答えたのでしょう。

     

    「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」は「君にはお金を貸すことはない。それはお金をドブに捨てないのと同じことだ」ということかと聞かれた日本人は「その通りだ」と答えると思いますが、どうでしょうか。

     

    (もしくは「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」とはどういう意味かと聞かれた日本人が、「君にはお金を絶対に貸さないよ。お金をドブに捨てないようにね、って意味だよ」と説明しても不自然さはありませんし、そう説明する可能性が高いと思います。肯定形で説明するより楽かもしれません。まぁ「君にお金を貸すという行為は、ドブに捨てるという行為と同じで、そういうことは一切しないということだよ」とは説明する方もいらっしゃるとは思うけど、それでも否定語が入ってしまいます。この、説明の際の否定語が諸悪の根源……。鯨構文の解説をするとどうしても「ない」とか「否定」という言葉がないと説明できないのです。ネイティブに聞いた日本の研究者が、結果として「ない」と訳すようになったのでしょう。「ない」「否定」という言葉なしで説明ができる方がいたら是非ともご教授願いたい。私には無理でした。ネイティブの説明で「ない」と言っていたから、「ない」を入れていいのだ、というのが日本の研究者の主張でしょうが、それって自分の頭で考えてない。やはり日本の英語業界はおかしいと思います。ロジカルに考えれば「ない」を入れることは絶対に間違いです。)

    これが全ての始まりだと思います。(あくまで推測の域ですが、最善の推測はしたつもりです)

     

     

    この後、1915年初版の「熟語本位英和中辞典」で上記の本の著者である斎藤秀三郎先生は、

    A whale is no more a fish than a horse is.を「鯨は牛馬も同然魚ではない」(旧仮名遣いの「な」をGoogleは「あ」と読み込んだようです。私が所有している大正15年3月20日出版の初版再改訂版も旧仮名遣い、昭和30年出版の新増補版13刷927ページでは新仮名遣いで「ない」となっています。)

    thanの後ろを肯定形で訳しています。

    20211018-152530 

    20211018-144840

     

    しかし時すでに遅し。(1899年の影響が現代まで残ってしまいました)

    それにまだthanの前を否定文で訳しています。

    やはり不完全な訳だと思います。(当時、ここまでなさったことに敬意を払うとともに、誤訳は誤訳として修正させていただきたく思います。ただHe can no more swim than I can fly.の訳はお見事。「彼が泳いだなら僕は飛んで見せる」。thanの前後をどちらも肯定形で訳されています。同じように鯨構文も「鯨が魚であるなら、馬も魚だと言える」などとやっていただければ、高3でわけがわからず苦しみ[=moreとかthanがあるのになぜ「同じ」になるの?thanの後ろは肯定文なのになぜ「‥‥ない」で訳すの??]、no more〜thanは「〜でないのは…でないのと同じだ」と丸暗記をせざるを得なかった新潟の池田少年のような人がずいぶん減ったでしょうに。ここは少々恨言を言いたい。thanの後ろを一生懸命「否定」で訳している方々は、東進ハイスクールの人気講師であろうと大人気ユーチューバーであろうと国立大外国語学部英語学科の教授であろうと、こと鯨構文に関しては「大馬鹿者」であると断言しておきます。真実の下僕でありなさい。日本語下手すぎ。日本語らしい日本語で考えなさい。アホな主張はとっとと引っ込めなさいよ。そうでないと、なんとか真理教みたいな残党が必ず残る。意地ではなく真実のみに従いなさい。馬鹿どもが!)

     

    この文章は、A whale is a fishと、a horse is a fishの二つを較べて、前者が、後者より=than)、moreより多い、より勝っている)である差がゼロ(=no)だという文章です。

    これを合わせて、「鯨が魚だというのは、馬が魚だというのと、同じことだ」となるわけです。(既に訳したnoをなぜもう一度登場させて前者にかけて否定するのか、全く意味不明です。noとmoreでマイナスとプラスで掛けてマイナスだから否定で訳す?そんなことしなくても立派に否定の意味になっているわい。だというのに、否定語を付け足すなんて余計なことをするから意味が重複しておかしなことになるのだよ。)

     

    thanの後ろはisという直説法。

    「事実だ」という意識の時に使う文法規則です。

    「鯨が魚だ」なんていうのは「馬が魚だ、と本気で事実だと思っている(=直説法)」というバカな行為と同じだ、と言っているわけです。

     

    なのにthanの後ろは肯定形ですが否定です、否定で訳しましょう、なんてやったら全く意味がないわけです。

    なぜnoを2回訳に使い、thanの後ろにわざわざ書いてないnotを付け足すのか。

    (TBSのドラマ「日本沈没」で関東沈没説を真実と解りつつ最初は認められなかった世界的地球物理学の権威と同じかな)

     

    否定で訳している方々。

    君らと話すのは、言葉が分からない人間と話すのと同じことです。

     

    この文章でさえ、「君らと話さないのは、言葉が分からない人間と話さないのと同じです」としたら意味が壊れるでしょ?

    なのに否定で訳すのは意訳だなどと言う。

    意味を壊していると思うのは私だけなのでしょうね、きっと。

     

    だから私は英語の関係者とは一切縁を持たないのです。

    そんな人々が「思考力が大事」とは片腹痛いわ。

     

    こちらはデータを提示しました。

    さぁdisproveしてみてください。

    データ、言葉をねじ曲げる「世良教授」とは縁など不要です。(世良教授は、番組後半では素晴らしかった。科学で事実を捻じ曲げることはできません。英語学習も科学です。捻じ曲げてはいけないのです。)

     

    こんなことでさえ修正が効かない日本の英語界は、やっぱり私は関係を持ちたくない。

    著者の斎藤秀三郎先生は、誤訳があれば修正を望むはず。(当時、あれだけの本を書けた方ならきっとそうだと私は信じます。)

    それができない日本人が英語が得意になるというのは、何も考えていないのに思考力がつくのと同じです。(これも鯨構文ですね。否定文より強いニュアンスになりますよね。上の文を否定文で訳したら、話者の意図が台無しです。あることが、あり得ないことと同等だ、と言って否定のニュアンスを強める。これが鯨構文の本質です。)

     

    (第一志望の上智大外国語学部イスパニア語学科に入学を決めて、記念受験だった第三志望の早稲田大学政経学部[第二志望は上智大学国際関係法学科]の入試[国語の過去問を全くやらずノー勉で受験。英語と世界史は合格点を取れましたが、模試でA判定だったとはいえ、やはりノー勉では戦えない……]。最後の科目のベルが鳴り、顔をあげた瞬間に頭の中で鳴り響いた言葉が「もう英語やらなくていいんだ!!」。実は自分でも頭で鳴り響いたこの言葉には驚いたのですが、その実この言葉は決して間違いではなかったと思ってます。全く科学的ではない、悪い伝統を考えもせずに無批判に後世に伝えているのが英語業界です。偏差値80近くとっている人間でさえ、おかしいと直感する変な世界が日本の英語界。受験生時代に偏差値80を越えていても、所有格の関係代名詞はwhoseしかないとか言っている英語講師がいることを私は知っていますし、とにかく日本中の英語の関係者は猛省が必要です。英語という言語自体は嫌いではありませんが、日本の英語を教える業界は嫌いです。辟易としています。……なぜか今ドップリやってますが…。まぁ独自路線で歩みます、今後も。弊塾がほぼ常に満席なのも、今の日本の英語業界がおかしいと思っている方々が非常に多いことを表しているのだと思いますよ。英語の研究者はロマンス系の言語をペラペラになるまで一回勉強してみるといい。自分は自分を使って壮大な実験をしたつもりです。言語の奥深さを教えてくれたスペイン語に感謝しています。その「言語がわかる」感覚を英語に応用しています。日本の英語がおかしいので皆さん留学するんですよね‥。しなくてもわかるようにするのが英語業界の使命では。その上で留学してさらにペラペラになってもらいましょう。)

     

     

     

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