shouldとmustは義務ではない。「当然」「話者の命令」である。その証明。
shouldは「義務」ではなく「当然」、mustは「義務」ではなく「話者の命令」です。
知っている人は少ないと思います。
まずshouldとmustは「義務」ではないことを証明します。
「義務」の否定は?
「義務がない」というのは「〜する必要はない」ですよね。
「〜する必要がない」ということはしてもいいわけです。
have toは義務です。
否定形のdon’t have toは「〜する必要がない」ですので。
shouldの否定は?
should not〜は「〜するべきではない」です。
してはいけないニュアンスです。
しても構わないという「〜する必要がない」ではありませんよね?
合格した受験生にとって「君はもう勉強する必要がない」と「君はもう勉強するべきではない」は全く違うものです。
have toとshouldは全く違うものなのになぜどちらも「義務」なのですか?
な訳ないでしょう。
はい、論破!shouldは義務ではありません。
ではなぜ「当然」になるか。
shouldをジーニアス英和大辞典で引くと、「shallの過去形」(下に[義務]とか書いてありますが、論証するとジーニアス英和大辞典もこの部分に関しては間違えているようです)

ならばshallの原義は何かを引くと「負うている、義務がある」

shallは昔は「義務」だったわけです。
ならばshouldは「負うていた、義務があった」となります。
昔決まったことは、今では「当然」やることです。
例を挙げれば、部活動で先輩に90度の角度のお辞儀をしなくてはならないと昔決まったなら、今の部員たちは「当然」90度のお辞儀を先輩たちに「するべき」なのです。
「昔の義務=今の当然」というわけです。
日本人は人に会うとき、お辞儀をしますが、大昔に決まったことを今「当然」のこととしてやっているわけです。
日本人サポーターの皆さんはサッカー場でゴミが出た時に、「立つ鳥跡を濁さず」という昔の諺の影響か、「当然」のこととしてゴミ掃除をします。ですからshouldは「義務」ではありません。
「当然」なのです。
shouldは「(当然)〜すべきだ」「(当然)〜なはずだ」であって、義務ではありません。
mustの否定形は「〜してはならない」です。
「〜する必要がない」ではないですよね。
これも「義務」ではありません、「禁止」(話者による聞き手への否定的な命令)です。
なぜそうなるのか。
mustは原義は「〜することを許された」です。(↓ジーニアス英和大辞典)

色々調べてはいるのですが、裏付けの出典がなく私の推測ですが、13〜14世紀の封建社会で上位者が下位者に「君は来ることを許された」と言ったら…
現代に置き換えれば、金正恩が下の者に「君は我が家のパーティに来ることを許された」と言ったら…
これは「君は我が家のパーティに来なくてはならない」と言っているのと同じです。
だから「話者の命令」だと考えています。
よくmustは主観的、have toは客観的とか言いますが、「話者の命令」なら完全に主観ですよね。
mustは塾長の推測ですが、かなり有力なのではないかと思っています。
否定が禁止になるのも説明すると、mustという助動詞が使われたら、とにかくその文章はmust以外の文が話者の命令になっています。
ニコチン中毒の人に” You must not smoke.”というのは、must以外の部分の”You not smoke”「君はタバコを吸わない」ということがmust「話者の命令」ということです。
だから「タバコを吸うな」となるわけです。
入塾してくれれば、なぜ助動詞に複数の意味があるのか、これも実は1つのプロセスでわかってしまいます。(2つとかではないです。2つとか言っている人はこじつけですよ。)
mustに「〜に違いない」という意味があるのに説明してないではないか、というご批判は、助動詞に複数の意味があることへの解決方法で説明がつきます。
非常に簡単でシンプルです。(でもまだ塾内のみの秘密)
こういうのがわかるのも池田英語塾。
長文を読むためには文法も性格である必要があるので、おまけですが日樹に性格に分かりやすく簡潔に教えています。
長文が読めて文法も正確になりますよ!(長文は読めて解答は出せても教えることはA.I.にはまだ難しいと思います)








東京女子大(数理科学学科数学専攻)東海大(海洋学部海洋理工学科)成蹊大(理工学部データ数理)東邦大(理学部生物学科、生物分子学科)