no more~than…(not~any more than…、not any more ~than…)(いわゆる鯨構文)は、「~でないのは…でないのと同じだ」「…でないように~も~でない」と訳すのだそうです。
しかしこれは間違いです。
日本の参考書はほぼ全てこの間違った訳に基づいています(正しい訳で書かれた本を2008.6の時点でまだ確認してません。ご存知の方がいらしたらご一報願います。)
※岐阜県のNさんから一つ発見したとの連絡を頂きました。ありがとうございます。ただいま確認中です。確認取れ次第ここに発表いたします。
具体例として以下に日本の代表的な参考書の鯨構文の扱いを示しておきます(全ての参考書の和訳は趣旨は捉えているものの和訳としては不十分。私の個人的な意見としては誤りだと考えます)。
桐原書店「全解説頻出英文法・語法問題1000」P115・542
I am no more able to operate this machine than he is.(ぼくは、彼同様、この機械を操作できない)
代々木ライブラリー「代ゼミ英熟語800」P119・355
The prediction of tornadoes is no more easy than that ofearthquakes.(地震の予知と同様、竜巻の予測は難しい[=簡単ではない])
旺文社「英熟語ターゲット1000」P250・772
Shintoism is a religion no more Western than it is Arab or Indian or Chinese.(神道はアラブ、インド、中国の宗教でないように、西洋の宗教でもない)
駿台文庫「基本英文700選」P96・558
We have no more right to say a rude thing to another than to knock him out.(他人を殴り倒す権利がないのと同様に、無礼な言葉を浴びせる権利もない。)
同・P96・559
Nations are not to be judged by their size than individuals.(国家も個人同様に、その大きさによって評価すべきものではない。)
文英堂「新選ゼミ・入試英文法問題特講」P199
You are no more young than I am.(私が若くないのと同様に君だって若くない)
同P200
I can no more swim than you can.(私は君と同様泳げない)
同P200
He no more studied at school than (he did) anywhere else.(彼は学校以外の場所でも勉強しなかったが、学校でも勉強しなかった)
以上の全てが誤訳の例です。
名立たる有名参考書ばかりです。
私が受験生の頃の受験の神様・故伊藤和夫師も鯨構文に関しては間違われていたというのが私の見解です。
以上が間違いなら何が正解なのか。
・・・正しくは「~であると言うのは・・・であると言うのと同じだ」です。
「ない」という言葉は使ってはいけないのです。
理由は:比較級の前にある数量を表す言葉は「差」を表します。
例えば、He is three years older /than I am.(彼は私より3歳年上だ)
She was two centimeters taller /than I was.(彼女は私より2センチ背が高かった)
They arrived here/ one hour earlier/than we had expected.(彼らはここに到着した/1時間早く/我々が思っていたより)
なら、比較級の直前のthree years, two centimeters, one hourがそれぞれの文で差を表しています。
ところでnoは「ゼロ(個、人、台・・・)の」を表します。
I have no money. I have no girlfriend.は「私はゼロ円のお金を持っている」→「私はお金がない」、「私はゼロ人の恋人がいる」→「私には恋人がいない」となります。
このようにnoは「ゼロ円の」「ゼロ人の」のように数量を表しています。
ですから比較級の前にnoをおくと「差」を表すことになります(比較級の直前の数量は差を表す)。
no比較級なら差がゼロを表すことになります。
差がゼロ、即ち等しいことを表し優劣のニュアンスは消えてしまうのです。
(例)He is no older than I am.(彼は私より年を取っている、その差がゼロだ→彼と私は同い年だ)
I am no taller than he is.(私は彼より背が高い、その差がゼロだ→私と彼は同じ背の高さだ)
I am no richer than she is.(私は彼女より裕福である、その差がゼロだ→私と彼女は裕福度は同じだ)
鯨構文でも同様で、than以下と、thanの前の内容に差がないことを表します(more「より多い」差がno「無い」ので)。
than以下が絶対にあり得ないことなので、それと内容に差がない前文も同様にありえないことだ、というのが鯨構文の趣旨です。
そのため、A whale is no more a fish/ than a horse is ( a fish).ならthan以下のa
horse is ( a fish)「馬が魚だ」とthanの前の「鯨は魚だ」が等しい、ということになります。(「馬が魚である(a horse
is a fish)」「より(than)」「より多い(more)」「(差がゼロだ)→同じだ(no)」「鯨が魚であることは(A whale is
a fish)」→「鯨が魚=馬が魚」→「鯨が魚だというのは馬が魚だというのと同じだ」)
「馬が魚だ」というのは全く事実ではないこと。
それと「鯨は魚だ」が差がない。
つまり「鯨は魚じゃない」ということを言いたいのだと判ります。
しかし、訳が問題です。
鯨構文は2つの内容の程度が同じだと言ってるだけで「ない」に当たる語は一切使ってないですね?
だから「ない」なんて入れたら正確じゃなくなるんです(あとでまた書きますが、「ない」という言葉を使わずに、絶対にありえないこととイコールなのだということで「ない」を表そうとしています)。
noは差がないことを表していて、「同じだ」を表し、「ない」は表していません。だから訳に「ない」なんて入れたら間違いなのです。
ところが実際には、これを日本の旧来の受験英語は「鯨が魚じゃないのは馬が魚じゃないのと同じだ」「馬が魚じゃないように鯨も魚じゃない」とするのです。だからこれらの訳は正確ではありません。
正確な訳は「鯨が魚だというのは馬が魚だというのと同じだ」です。同じに聞こえる??全然違いますよ。
想像して下さい。
「鯨は魚だ」と主張している人間が目の前にいるとします。
しかもかなりしつこく主張している。
こういう人に対して、「お前な、鯨が魚だ(=A whale is a fish)というのはな、よりまさっている(=more)差はない(=no)ぜ、馬が魚であるのとな(=than a horse is a fish)」と言いたくなりませんか。
相手が言っていること(=「鯨は魚だ」)は、「馬が魚だ」というとんでもないことと「差がない(=no more)」のだよ、と言って相手の主張を否定しているのです。
相手が言っていることをそのまま引用して、それは間違っていることと差がない、というのが鯨構文の趣旨です。
日本中で教えられている「鯨が魚でないというのは、馬が魚でないのと同じだ」は明らかに間違いです。
相手は「鯨は魚だぜ〜」と言っているのにこんなことを言っても、「何言ってんだお前。アホか」と返されるだけです。
ですから「鯨が魚だというのはな、馬が魚だというのとおんなじことなんだぜ」というのが正しい訳なのです。
じゃあ、I can no more swim/ than she can (swim)なら?
「私が泳げないのは彼女が泳げないのと同じだ」「彼女が泳げないように私も泳げない」ですか?
変でしょ。
正しい訳は「私が泳げるというのは彼女が泳げるというのと同じだ」です。
この正しい訳なら、「彼女が泳げる」というのがあり得ないこと、つまり彼女が凄いカナヅチだという暗黙の了解が会話をしている二人の間にあることがはっきり判ります。
また、相手が「お前さ、水泳大会に出てくれよ、頼むよ、泳げるだろ?」と言っている相手に「お前な、俺が泳げるというのはな、彼女が泳げるというのと同じなんだぜ」と言って、相手が言っていることは絶対にありえないことと同じだと言って断ってもいることもわかります。
このように鯨構文は「ない」という言葉を使わずに、否定の強い気持ちを表現したい時に使う表現です。しかも、相手の言ってることをそのまま引用して、それが絶対に間違っていることと同じことなんだ、と言って相手の発言が間違っていると断定するのが目的です。
ですから「鯨が魚でないのは、馬が魚でないのと同じだ」のようにthanの前を否定文で訳している日本の99.9%の英語の専門家や本の執筆者は明らかに間違えています。こういう人たちは大馬鹿者ばかりです。
日本語でも「お前に金を貸すのはお金をどぶに捨てるのと同じだ」という表現がありますね。
私たち日本人はすぐに「絶対にお金を貸さない」という意味に頭の中で解釈します。
しかし、実は一言も「お金を貸さない」とは言ってませんね。
この表現は「ない」という言葉を使わずに「ない」という趣旨を表しています。
おそらく相手が「お金貸してくれ〜」としつこく言っていて、その相手の言葉をそのまま引用(「君にお金を貸す」)して、それが絶対にありえないこと(「お金をドブに捨てる」)と同じことだと言って断っています。
これがまさに鯨構文の趣旨なのです。
もし外国人が日本語の学習でこの表現を「お前に金を貸さないのはお金をどぶに捨てないのと同じだ」とか「お金をどぶに捨てないのと同じように君にもお金を貸さない」を表す現地語で教えられていたら・・・正確なニュアンスはわかってもらってないですよね。Yahoo知恵袋で鯨構文に「ない」を入れる事を許容している解答がありましたがとんでもない事です。絶対に「ない」は入れてはいけません(言葉として考える時には。試験で点数を取るためなら、教師達が馬鹿者ばかりですから「ない」を入れるように私は指導しています)。
それが日本の教育で行われていることなのです(「お前に金を貸さないのはどぶにお金を捨てないのと同じだ」教育、と呼んでいいでしょう。)。
私も昔は勉強不足で誤った訳で教えていました。恥ずかしいです。
是非、今後は鯨構文は正しい訳で覚えて下さい。(でもテストで正しい訳を書くのは怖いかもしれませんね。だから、何が正しいかをわかった上で間違った訳を書くのが現状ではベストかもしれません。英語の専門家の方々、是非正しい訳に直すよう働きかけてください。私も言い出しっぺとして頑張りますので。一般の学校や塾・予備校ではほぼ全て間違った訳です。真実はそれらの場所には無いのが現状なのです。。。)
先程の文章を正しい訳に直してみましょう。
桐原書店「全解説頻出英文法・語法問題1000」P115・542 I am no more able to operate this
machine than he is.(ぼくは、彼同様、この機械を操作できない)→「僕がこの機械を操作できるというのは、彼がこの機械を操作できるというのと同じだ」(彼は機械音痴でその彼と僕は同程度だ、と言っています)
代々木ライブラリー「代ゼミ英熟語800」P119・355The prediction of tornadoes is no more
easy than that of earthquakes.(地震の予知と同様、竜巻の予測は難しい)→「竜巻の予知が簡単だというのは、地震の予知が簡単だというのと同じだ」(地震の予知なんて非常に難しいが、竜巻の予知だって同程度なのだ、と言っています)
旺文社「英熟語ターゲット1000」P250・772 Shintoism is a religion no more Western
than it is Arab or Indian or Chinese.(神道はアラブ、インド、中国の宗教でないように、西洋の宗教でもない)
→「神道が西洋の宗教だというのは神道がアラブやインドや中国の宗教だというのと同じだ」(神道はアラブやインドや中国の宗教ではないのは明白だが、神道を西洋の宗教だというのはそれと同程度のことだ、と言っています)
駿台文庫「基本英文700選」P96・558 We have no more right to say a rude thing to
another than to knock him
out.(他人を殴り倒す権利がないのと同様に、無礼な言葉を浴びせる権利もない。)→「他人に無礼な言葉を浴びせる権利があるというのは、他人を殴り倒す権利があるというのと同じだ。」(他人を殴り倒す権利なんてないのは明白だ。他人に無礼な言葉を浴びせる権利もない、のも全く同様だ)
同・P96・559 Nations are not to be judged by their size than
individuals.(国家も個人同様に、その大きさによって評価すべきものではない。)→「国家をその大きさで評価すべきだというのは、個人を大きさで評価すべきだというのと同じだ。」(個人の価値は大きさでは決まらないのは明白だが、国家の価値も全く同じだ)
文英堂「新選ゼミ・入試英文法問題特講」P199 You are no more young than I
am.(私が若くないのと同様に君だって若くない)→「君が若いだなんて私が若いというのと同じだ.」(私が若くないのは明白だが君だって同様だよ)
同P200 I can no more swim than you can.(私は君と同様泳げない)→「私が泳げるなんて彼が泳げるというのと同じだ。」
同P200 He no more studied at school than (he did) anywhere
else.(彼は学校以外の場所でも勉強しなかったが、学校でも勉強しなかった)→「彼が学校で勉強したなんていうのは、彼が他のあらゆる場所では勉強したというのと同じだ。」(彼は大変な怠け者であった。彼が学校で勉強した、というのは他のありとあらゆる場所で勉強したというのと同じことさ{勉強なんてこれぽっちもしなかったよ}
一番最後のこの文に関してはこの参考書の著者の訳にも一理あるように一見見えますがさにあらず。
あくまでthanの後ろは事実ではなく、絶対にあり得ない一例で、それと同じだということで否定的な主張をするための比較対象にすぎません。
それを「彼は学校以外の場所でも勉強しなかったが」と事実として訳していることで鯨構文の本来の趣旨に反しているため、決して正しい訳ではありません。
基本から考えて解き明かせば簡単に判ることです。
参考書の方が間違っているのです。
(でも、間違った訳をテストでは書きましょう。・・・まだしばらくは。いつか正しい訳が正解になる時が来ると信じてます。)
鯨構文の例で分かるように、日本の英語教育はどうもおかしい。
一生懸命働いて稼いだお金を払って習いに行ったら間違った内容を教えられているのです。
正しい内容を習いたいなら池田英語塾へおいで下さい。
他の学校に行っても、一生懸命働いて稼いだお金が無駄になるだけです。
他にも、few,if any,「たとえあるとしてもほとんど〜ない」も日本中で間違って教えられている例です。
時間があればアップします。