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  • Web無料体験授業[動画講義]

    2016.4.1

    池田英語塾では、弊塾が行っている授業をご自宅で体験していただくためYouTubeを利用して一部の授業を世界中で見られるように配信しております。

    関係詞に関しての動画が中心ですが、他にクジラ構文、助動詞のbe toに関しての動画をアップしております。

    ぜひご覧ください。(弊塾オリジナルの教授法です。世の中の関係詞、クジラ構文は間違って教えられています。苦しんできた人、苦しんでいる人、ぜひご覧ください!特にお薦めなものを抜粋して4本、このページに貼っておきます。それ以外はYouTubeの池田英語塾のチャンネルで公開しています。)

    「関係代名詞の正確な考え方」(↓大げさではなく本当です)

     

     「クジラ構文の正体」(日本初の正しいクジラ構文の説明です。現役の受験生だけではなく受験の時に全く理解できなかった昔の受験生であるご父兄様にも是非見ていただきたい動画です。)

     

    「助動詞be to &to不定詞の真の本質 」(be toは「〜することになっている」だけでいいなどというのは明らかな嘘です。国立大などの下線部訳で減点されます。一例として条件を表すif節中では「意志」(〜したい)で訳すことを出題者側が求めているのにそのように訳したら減点です。無責任な言に騙されないようにしてください。to不定詞の本質が「未来志向」というのも嘘です。I am happy /to see you.「私は嬉しい/あなたに会えて」のto see youはI am happyより過去でしょう?本質なら例外なく全てに通用します。だから本質なのです。確かにto不定詞は未来であることは多いですが、未来であることがto不定詞の本質ではありません。本質は違うところにあります。「一流講師」と称する講師たちの英語の講義での嘘(嘘の意図がないのなら勉強不足による無知から来る、偏っていてすべての場合に通用するわけではない知識らしきもの)は本当に勘弁してほしいものです。私の目には「一流講師」などというのは動画を売らんがための薄っぺらなメッキです。この動画でto不定詞の本質を理解してしまいましょう。少なくともto不定詞で騙されることはなくなります。)

     

    関係詞に関して、世の中のすべての先生にお聞きしたい。

    He is a man (           ) I respect.のような文章で、なぜ(              )の中に関係詞が入るという前提でいきなり話し始めるのか。

    そこになぜ関係詞が入るとわかるのか、まずそこから説明しなくてはならない。

    それをせずに(  )の後ろの文章が不完全文だから関係代名詞だとか、完全文だから関係副詞だとかやっているわけだが、まずはなぜそこに関係詞が入るのかを説明しなくては話にならない。

    それになぜ関係詞が疑問詞と同じ形なのか。

    これも説明しなくてはならない。

    見た目は同じ。

    なぜ見た目が同じものが違う働きなのか、どういう時が疑問詞でどういう時が関係詞か、「先生」という職業なら説明できなくてはならない。

     

    クジラ構文が「クジラが魚でないのは馬が魚でないのと同じだ」というのも笑止。

    正しくは「クジラが魚というのは、馬が魚というのと同じだ」。

    「君にお金を貸さないのは、ドブに捨てないのと同じだ」と言う人はいない。

    「君にお金を貸すのはドブに捨てるのと同じだ」と肯定形で否定の気持ちを表す。

    クジラ構文も同じ。

    肯定文で否定の気持ちを表すのがクジラ構文の本質。

    わかりやすく口語調で言えば「お前よ、お前はクジラは魚だとか言ってるけど、クジラが魚だっていうのはさ、馬が魚だっていうのと差(=more)がない(=no)ぜ、同じことだぜ、いい加減にしろよな」……というところか。

    「クジラが魚だ」と言っている人に対して、「クジラが魚だ」というのは「馬が魚だ」と言っているのと差がない(=no more)、同じことだ、と言って諭しているのである。(no moreがなぜ「差がない」のかは動画をご覧あれ)

    「金を貸してくれ」と言っている人に対して「お前に金を貸す」というのは「ドブにお金を捨てるのと同じだ」と言って諭しているのと同じなのである。

    だから世の中の大学教授・予備校講師・学校の教師の誰であろうと、「クジラが魚じゃないのは…」と言って教えていたらデタラメを教えているのである。

    否定文で訳した瞬間にその人はクジラ構文を間違えている。(相手が言っていることをそのまま引用し、それが絶対にありえないことと同じだ、と言って諭すのがクジラ構文の本質。「クジラが魚ではない」なんて相手は言っていない。相手は「クジラは魚だ」と言っているのである。それが「馬が魚だ」と同じだ、と言って諭しているのだ。「クジラが魚じゃないのは‥」なんていう訳し方は「愚か」「わかっていない」「馬鹿者」といった言葉以外見つからない)

    世の中の99.99%以上の教師が間違っていることは驚愕に値する。

    文部科学省よ、何とかしてくれよ。

    こちとら高い税金を払っているのだ。

    君らは頭がいいのだろう。(それとも国Iで燃え尽きて凡庸になったのかな)

    とにかく税金を無駄にしないでくれ。

     

    クジラ構文程度でとやかく言うな、という御仁がいるかもしれない。

    それは間違いである。

    クジラ構文程度でもわからないのが問題なのだ。

    それに、英語業界は全く数学的な、科学的な公平な視点がない。

    ポアンカレ予想をペレルマンが証明したと言った時、世の数学の研究者たちは何をしたか。

    ペレルマンの証明に矛盾がないかどうか徹底的に検証して、ポアンカレ予想が解決されたという結論に達した。

    フェルマーの最終定理のワイルズによる証明の時も同様だ。

    宇宙は静止していると考えていたアインシュタインが、ハッブルが宇宙が膨張していると証明した時、ハッブルの天文台のあるウィルソン山天文台を訪れ、自らの静止した宇宙という考え方を捨てた。

    一方英語の研究者たちはどうだ。

    全く進歩が無く、昔ながらの方法をただダラダラ述べるだけで、伝統芸能の継承にすぎないではないか(いや、能などはそうではなくてはならないから、継承は素晴らしい。しかし英語教育は科学だ。英語がどうしてそうなっているのかを解明することで、ネィティブでない人間が理解しやすくするための科学である。そのような科学では、能などの素晴らしい伝統芸能とは違い、常に科学的に解明する必要がある。その科学的な精神をほぼ100%の英語講師たちが持ち合わせていない。嘆かわしいとしか言いようがない)。

    英語の研究者、教育者にはもっと科学的な視点を持っていただきたい。

    自分の見解を証明もなくだらだら述べるのはもう勘弁してほしい。(宇宙物理学者が「宇宙は静止している」などと、証明することなく教壇で述べ、生徒たちに間違いを押し付けている姿と現在の日本の英語教育は全く同じ。英語の教育者には科学的な視点が全く欠けている。)

    私のクジラ構文の証明も同様に科学的に検証をお願いしたい。

    正しいなら(正しいと確信しているが)、日本中の参考書を即座に書き換えていただきたい。

     

    疑うことから始めるのが科学。信じることから始まるのが宗教。

    英語教育は宗教になっている。(だから矛盾する内容の英語の本が氾濫し、どれが正しいのかわからなくなっている。まさに宗教である。)

    英語学習は宗教ではない。

    くだらない。

    教える側もダメだが習う側もダメ。

    習う側も猛省しなくてはならない。

    本当に頭が良くなりたいのに、疑うことをしないというのは頭が凡庸になることを自らに奨励しているのと同じ。

    本気で学びたいなら疑うことから始めることだ。

    疑って分からなくなり質問をしたのに、その誠実な質問に答えられないなら教師が阿呆なだけ。

    そのような阿呆な英語教師だらけなのは悲しすぎるし、そのような状況で一人で抵抗するのに絶望を覚える。

     

    以前、to不定詞の本質が未来志向というのは間違いだという内容の動画をアップしたら弊塾の電話受付に番号非通知で英語でまくし立てる電話が来た。

    間違った内容で習ってそこまで話せるようになった努力は素晴らしい。

    が、日本語でto不定詞の本質は未来志向だと証明する電話をして抗議をするのが取るべき態度ではなかったか。(そのような証明は絶対に無理だが)

    この人物がしたことが日本の英語業界の縮図である。

    自分が間違っていると証明されると、証明した人間に対して暴力で潰そうとする。(もしくは見なかったことにする。見てないことは起きてないことという陳腐な発想で物を考える)

    彼の人物はテロリストとどこが違うのか。この人物は猛省してほしい。(証明ができないからテロ行為に及んだとこちらは解釈している。)

    私なら、英語で素晴らしい証明をした人物には即刻師事をするが。

    私は日本の英語界・英語の現状には絶望しか感じない。

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